死にたい場所

投稿者: | 2018年2月11日

(特養で働いて,1年くらいたったころの日記)

特養で1年働いてみて,介護職というのは利用者に必ずしも好かれる必要はないと思っとった。
だって,利用者にとっての鬼畜にだってならんといけんのんじゃもん。
起きたくない時に起こしたり,飯を食いたくないときに飯を口に突っ込んだり,風呂に入りたくないときに風呂に入れたり。

視力も弱く,意識レベルの低い人,寝たきりの人なんかにとっては,
急に身体を持ち上げられて,何か(実際には車椅子)に座らされて,なんかわからんけど動かされて,そして口に何かを突っ込まれる。
地獄なんか行った記憶はないけど,それは地獄に似たところなんじゃないんかなあ。

でも,特養っていうところは,死ぬまでおる場所なわけで。
ほとんどの人は,特養で調子が悪くなって,病院に運ばれて亡くなる。
施設で急変して亡くなる人もおる。

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今日,なんか思った。
自分が死ぬときは,願わくば自分が好きな人,愛する人の側で死にたい,って。
自分の事を愛してくれる,じゃなくて,自分が愛する人の側で。
住み慣れた家でもなければ,全くの他人の側で死にたくはないかなあ。
わしは。わしはそう思う。

特養って,一応自立支援を目指してケアプランを作ったりするけど,ほとんどの人は衰弱していって,やがて亡くなる。
それは,どんなに「いい介護」をしてもそうだ。

なら特養の介護員に必要なのは,特に看取りケアに従事する職員に必要なのは,その利用者に愛されるようになることなんじゃないだろうか。
最期に「この人に看取られてよかった。」って思えるような。

そりゃ家族には勝てんかもしれんけど,
「自分の最後を看取るんが、こんな奴か。」
って,そう思われるとなんかそれって哀しいような。
哀しいから間違っとるわけじゃないんじゃけど。

全利用者の死に対峙する可能性があるけえ,全利用者を対象として,「好かれる」ってことも目標にせんといけん事かもしれん。
利用者を「好く」必要はわからんけど。

 

今日,ある利用者さんが施設で亡くなった。
急変を発見したんはわしじゃった。

すぐにリーダーに連絡して,いろいろと対応してもらったけど,
明らかにその人は,わしの目の前で息を引き取った。

介助しようと思ったら,いつも「このやろー!」とか言いながら,
腕に爪をたててくる人。
笑った顔は,あんまり見たことない人じゃった。

いままで目の前で亡くなる人を見たんは初めてじゃないし,
そんなめちゃくちゃショックじゃったんか,っていうと,そうでもないんじゃけど。

なんか思ったんよな。
90何年の生涯の最期に,オレがいていいんかな,って。
いいように,なるべきなんかな,って。

 


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