介護職が研究をすることの必要性ー専門性を高めるためにー

投稿者: | 2018年4月28日

介護職の専門性を高めるために,必要なことは何だろう。僕は,介護職の専門性を高めることが,いまとても必要だと感じているし,介護に従事しているたくさんの人が,「専門性を高めたい」,「介護職を専門職として認められたい」と感じているのだと思う。

それには,介護職が研究をして,それを共有することが絶対的に必要だと僕は思っている。いくら勉強しても研修に参加したりしても,それは介護の専門性を高めることにはつながらない。介護職の専門性を高めることは,介護職自身が研究するしかないと考えている。

ここでは,それがなぜなのか,どうして介護職が研究をやらなきゃいけないのか,ちょっと僕の考えをまとめてみたいと思う。

目次

いくら勉強しても専門性は高められない

まず,大前提として,いくら勉強しても介護の専門性は高められないことを伝えたい。

介護に関わる教科書の著者の部分をよく見てもらいたい。ほとんどは,現場で働いていない人たちだ。著者のことを良く調べてみると,その人たちが医師や看護師や法律の専門家であることがわかると思う。研修会や勉強会に参加しても,教える人たちはそういう分野の人たちが多数を占めるだろう。

介護を行う上で,医学から法律に至るまで,様々な知識が必要だ。だから,このような勉強や研修はとても重要だ。このような勉強をしたり,研修に参加したりすることはプラスになることが多いだろうし,僕はそれを否定するつもりは全くない。

でもそれは,あなた個人の「介護の専門性」を高めていることになるのだろうか。

教科書の著者や勉強会で教えている人たちは,自分の専門分野の視点から,自分たちの知識を教えてくれる。それによって,その分野の専門知識・専門技術を学ぶことができる。でもそれは,介護の専門知識・専門技術を学ぶことになるのだろうか。

医師は,どのように専門性を高めているのだろうか。それは,医師同士が様々な症例について議論したり,報告し合ったりして情報を共有し,それぞれの症例に対して効果のあるアプローチを確立することで「医学の専門性」を高め,個々人の専門性を高めている。

他の専門職だってそうだ。同じ専門職同士が,自分たちの実践や経験などを共有して,その分野の専門性を確立していく。そして,確立された専門知識・専門技術を学ぶことで,個々人の専門性を高めている。

つまり,介護職個々人の専門性を高めるためには,介護分野の専門性を高めていかなければならない。そのためには,介護職同士がそれぞれの経験や技術・知識を共有していかなければいけないが,果たしてそのような機会がどれくらいあるだろうか。

看護師は,ナイチンゲールが現れるまで,「医師の助手」だった。ナイチンゲールによって,「看護とは何か」という議論が立ち上がり,看護師同士で看護に関わる経験・知識・技術が共有され,「看護学」という領域が出来上がった。

介護職は,介護福祉士という国家資格を持っているものであっても,「看護助手」と呼ばれているところもある。つまり,すくなくともそのように呼ばれている領域では,介護は専門職として認められておらず,看護師の助手なんだ。介護職が専門家として認められるためには,「介護福祉学」という領域を作っていく必要がある。

介護実践の根拠(エビデンス)

介護福祉士の専門性は,「利用者の生活をより良い方向へ変化させるために,根拠に基づいた介護の実践とともに環境を整備することができること」と,日本介護福祉士会のホームページに書いてある(日本介護福祉士会 介護福祉士の専門性)。もちろん,これが全てではないだろうし,今後も議論の余地はたくさんあると思うけど,とりあえずこの定義にのっとって,ちょっと考えてみよう。

では,「根拠に基づいた介護の実践」と書いてあるけど,その根拠とは何だろうか。よく「エビデンス」と言われるが,それは,医学などの領域から得られた知見なのだろうか(ここまで書くと,「しつこい!」って言われそうな気もするけど)。でも,実際に「エビデンス」という言葉が語られるとき,なぜか当然のように,医学の「エビデンス」を前提としているなと感じるのは,僕だけだろうか。

よく言われるように,介護の目的は「Cure」ではなく「Care」だ。このような仕事をする上で,介護職には介護職独自の視点があるはずだ。日本介護福祉士会の言葉を借りれば,介護実践は「利用者の生活をより良い方向へ変化させる」ことが目的であり,「利用者の身体状況をより良い方向へ変化させる」ことが目的ではない。

そして,この目的のための介護実践が基づく根拠を増やしていくことが,介護福祉士の専門性を高めることにつながるはずだ。じゃあ,その実践が基づく根拠は,だれが増やしてくれるんだろうか。たしかに他の領域の人も根拠を提供してくれるかもしれない。身体状況をより良い方向へ変化させることで,生活がより良い方向に変化することもたしかにある。

でも,それだけじゃないはずだ。っていうか,その根拠を作ることを医学や看護学の分野に頼っていたら,いつまでたっても「看護助手」のままだ。さっき書いたみたいに,介護職には介護職独自の視点がある。その視点からの経験・実践・技術の蓄積が,介護職が持つべき根拠だ。

声を大にして言いたい!
介護実践の根拠を作るのは,介護職自身だ!​介護職じゃないと,介護実践の根拠は作れない!

医療の領域では,様々な症例・実践・技術が共有され,体系化され,それが医療実践の根拠となっている。これを「医学」という。看護の領域だってそうだ。看護職で共有された実践・経験・技術の蓄積が,それ以降の看護実践の根拠となっていて,それが「看護学」と言われる。他の領域だって,専門職が持つ根拠は,その分野の専門職が体系化している。

つまり,介護職じゃないと「介護福祉学」は作れない。
そして,「介護福祉学」がつくられない限り,介護職はいつまで経っても専門職として認められない。

実践や経験を共有する場ー学会ー

それでは,介護実践の根拠をつくるためには,どうすれば良いのだろう。他の専門職は,どうやっているんだろうか。

ドラマなどで,医師が「学会」という言葉を口にしているのを聴いたことがある人は多いと思う。実際に,医師はよく学会に行っている。医師だけじゃなくて,他の専門職も学会には参加している。

じゃあ,なぜ学会に行くのか。別に地方に行って,ただ観光しているだけじゃない。先に書いたように,それぞれの専門職が,様々な症例について議論したり,報告し合ったりして情報を共有し,それぞれの症例に対して効果のあるアプローチを確立する,それが学会という場だ。誰か偉い先生がいて,参加している人に講義しているんじゃない。お互いがお互いの経験や技術を共有して,専門性を高め合う場が学会だ。

だから,珍しい症例や前例のない技術・アプローチなどは積極的に学会で報告される。それを共有することで,新しい技術やアプローチの有効性が確かめられ,徐々にスタンダードになっていく。そして,論文という文章になり,その技術・アプローチの有効性が客観的に評価され,多くの人に共有されることになる。その論文を読んだ専門職は,「この論文に,このようにしたら,このような結果が出ていると書いてある。だから,私はこのようなアプローチを選択した。」と根拠を示しながら,自分の実践を説明することができる。それが,根拠に基づく実践であって,そうやって,各分野は発展し,より高い専門性を確立することができている。

介護の世界はどうだろうか。実は,介護福祉学会は,介護分野の専門性を高めることを目的に作られている。そして,学会誌の創刊号では,現場の人に研究して欲しいと呼びかけている。残念ながら,その呼びかけはあまり現場の人には届いていないようで,現場の介護職の発表はまだまだ少ないのが実情だろう。

実際,いろんな施設を見学させてもらうけど,「これすごいじゃん!」っていう実践をしとるところも多い。
でも,それは施設内・法人内でしか共有されてなくて,すごいもったいないなあ,って思う。
「これ学会で発表するべきですよ!」って,言っても「学会」っていうワードだけで,ひいてしまう人が多い。(現場と研究との距離
でも,他の施設がどんなことをやっているのか,知りたいと思っている介護職・施設は多いはずだ。他の施設がやっている事例を知ることで,自分たちの実践に活かすことができる。

事例の共有は成功事例でも失敗事例でもよい。そのような経験を共有することが,介護実践の根拠を作ることの第一歩になると考えている。そういう思いで,「現場介護職員によるわたしたちの介護自慢大会」を開催した。実際,まだまだ始まったばかりでどうなるかわからないけど,こういう活動がどんどん広がっていけばいいな,と考えている。

介護研究の必要性

では,学会ではどのような形で報告がなされるのか。

「私たちは,○○という問題があった利用者に,△△という介入をしました。そうすると劇的に良くなったんですよ!」というだけでは,何がどの程度良くなったのかわからない。これだと,他の介護職が実践する時の根拠にはならないだろう。

自分も含めて,介護職の今後の実践の根拠となるには,客観的なデータ(≒記録)が必要になる。

「私たちは,○○という問題があった利用者に,△△という介入をしました。介入前は~~の回数が■■だったのが,介入後は◇◇となりました。」
このような具体的な記録が共有され,それがある程度蓄積されることで,説得力を持つ根拠になり得る。

新しい介入や取り組みを行うことで,何がどのように変わったのか,その記録をきちんと取ること。そしてその記録に基づいて,その介入や取り組みの効果を評価する。これを研究という。詳しくは,「介護研究の意味と意義」に書いているけど,そうやって記録をしっかりとって,それを共有することで,介護実践の根拠は蓄積されていく。

勉強ではなく,研究。
こんな言い方をすると,「自分は研究なんて・・・」と思う介護職の方は多いだろう。でも,仕事の中でもきちんと記録は取っているはずだ。せっかく「記録」を取っているのに,それを「研究」まで昇華しないのはもったいない。(もちろん,現場の人は,仕事のために「記録」を取っているのであって,「研究」のために記録を取っているわけじゃないんだけど)先ほど述べたように,介護職の専門性を確立して高めていくためには,介護職が研究をしなければいけないんだ。

僕は,いまこそ,介護職の人たちに積極的に研究して欲しい。その足掛かりとして,介護自慢大会もはじめていこうと思った。また,昨年から,CaRP(Caregiver’s Research Project)を立ち上げて,定期的に研究の方法などについて議論する集まりも始めている。(僕が野球の広島カープファンだからではなく,素直に英語を略したらこうなりましたw)(大分近郊の介護職の方は,是非参加してください!)

また,研究の方法について,いろいろとこのブログで紹介しているのもそのためだ。(「自分たちの介護を研究したい!研究方法のまとめ」)そんなに堅苦しく考えなくていい。まずは事例検討会から始めよう。

おわりに

僕はもともと介護職だ。そして,介護職の専門性をできるだけ早く確立したいと願っている。

現状,介護職は,医療・コメディカルの人たちに,いろいろと「教えてもらう」立場になっていることが多いように感じる。でも,本当は,他の専門職にその専門分野のことを教えてもらいながら,こちらは他の専門職に「介護の立場からすると,○○は××なんですよ。」と意見が言えるように。医療やコ・メディカルの人たちにも介護のことを教えられるようになってほしいと,切に願っている。

「介護職は専門職だ!」と言うなら,その専門性をしっかり周りに見せつけなければいけない。言ってるだけでは何にもならない。じゃあどうするか。

研究して,根拠(エビデンス)を蓄積して,他の専門職とはまた別の視点で,自信を持ってものを言えるようにならなきゃいけない。

そのためには,僕は努力を惜しむつもりはないし,できるだけ介護自慢大会やCaRPが大きなムーブメントになってくれればと思っている。みんな,真似して,各地でそのような動きが起こってくれればと思っている。

時間はかかるかもしれないけど,一人でも多くの介護職に研究をしてもらい,一日も介護職の専門性を確立したいと願っている。

さあ,一緒に介護福祉学を研究しましょう!


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