「自立支援」
福祉の世界では,「自立」という言葉がよく使われる。
でも,「自立」ってなんだろう。
あなたは,「自立」してますか?
目次
「自立」とは
デジタル大辞泉さんの定義によれば,「自立」とは,
- 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
- 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「自立式のパネル」
つまり,物理的な「自立」は,そのものだけで「立っている」こと。
この定義に従えば,介護者の支えがないと立っていられない状態は,「自立」ではない。
杖や手すりを持って立っているのはどうか。
自分の力だけで立っているのだから,1の定義にある「他からの助力は受けずに」という部分はクリアしているけど,2の定義にある「支えるものがなく」は満たしていないから,「自立」とは呼べないのかもしれない。
じゃあ,独居の高齢者で,歩行時に杖が必要な人は,「自立している」とは言えないのか?
おそらく,一般の考えでは,「自立している」というだろう。
福祉の世界でいう「自立」は,多くの場合物理的にどうとか,そういうのはあまり意識されない。
福祉の世界の「自立」
少し前の話題だが,「年越し派遣村」の”村長”として活動されていた,湯浅誠氏がNHKの番組「視点・論点」で自立について話した内容が,テキスト化されていたので紹介する。
ここでは,「自立」について興味深い話がいくつか示されている。
そして,福祉の分野での「自立」の考え方について,次のように示されている。
「福祉の分野では『自立』を3つの側面に分ける考え方があります。『日常生活自立』『社会生活自立』そして『経済的自立』です。」
日常生活自立
日常生活自立とは,文字通り「日常生活での自立」だ。
介護の世界でよく聞く,ADL(日常生活動作)やIADL(手段的日常生活動作)はこれに含まれる。
ADLとは,食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動のこと。
IADLは,買い物・料理・掃除・洗濯といった,単なる動作だけではなく,生活を営む上で必要なことを指す。
社会生活自立
社会生活自立は, 地域社会の一員として充実した生活を送ることができることを指す。
「社会生活」という言葉を考える時,最もわかりやすいのは,社会に対して自分に何か「役割」があることだろう。
「〇〇会社に勤めて,△△という仕事をしている。」
「町内会で,〇〇ということをやっている。」
これは立派な「社会生活」といえる。
「母親として,育児をしている。」
これだって,「家族」という小さな「社会」の中で,「母親」という役割を担っているのだから,間違いなく「社会生活」といえるだろう。
では,その「社会生活」で「自立」している,とはどういうことだろうか。
仕事をする上で,自ら考え,より役に立つ,より業績を伸ばすことを実践することが,「自立」といえるかもしれない。
町内会で,自分の役割を務めるために,様々な努力をすることが自立,といえるかもしれない。
役割を務めるために,自ら行わなければならないこと。これができるかどうかが,「社会生活で自立している」という概念になりそうだ。
経済的自立
「自立」という言葉を聴くときに,一番みんながわかりやすいのは,「経済的自立」ではないだろうか。
言うまでもなく,「経済的」に「自立」していることだ。
例えば,赤ちゃん,子どもから大学生くらいまでは,多くの場合経済的に自立していない。
法律には「扶養」という言葉もあるが,「扶養」されている者は,経済的に自立しているとは言えないだろう。
でも,専業主婦がパートなどをやって家計を支えたり,高校生や大学生が自分の携帯代を払ったりするのは,「一部自立」と言ってもいいのかもしれない。
福祉の世界では,貧困問題では,生活保護の状態から,就労して保護費をもらわない状態にもっていくことを「自立支援」という。
つまり,保護費をもらわなくても日常生活が営めることを「自立」と言っているわけだ。
「自立」できてますか?
じゃあ,私たちは,「自立」できているのだろうか?
「日常生活自立」は,どうだろう。
オレは,料理や洗濯はできなくはないけど,普段あまりやらない。
掃除にいたっては,ほとんど妻に任せている。
「日常生活自立ができないわけじゃないけど,普段はしていない。」
なんていう人は,少なくないんじゃないだろうか。
「社会生活自立」は?
オレは仕事に行くために,妻に起こしてもらうことがたまにある。
これは役割を務めるために,自ら行わなければならないことを他人に頼っている部分がある,ということになる。
誰かに起こしてもらう。
家族に「早く寝ないと明日起きれないよ」と言われてしぶしぶ寝る。
家族に車を出してもらって,駅まで送ってもらう。
こういう人,結構いるんじゃないだろうか。
「経済的自立」は?
働いて,その給料だけで生活を送れている人は,「経済的に自立している」と言えるだろう。
じゃあ,夫婦の給料を合わせて,やっと生活できる人は,どうだろう。
毎月赤字で,貯金もなくなって,実は消費者金融から時々お金を借りています,っていう人もいるかもしれない。
年金をもらって生活している。これは,「自立」なの?
「年金は,過去に自分が年金を払ってるんだから,受け取る権利がある。だから,『自立』だ。」
という考えもあると思う。
じゃあ,障害者年金は?遺族年金は?
「権利」を主張するならば,日本国民には生活保護を受給する「権利」がある。
じゃあ,生活保護を受けて日常生活を営むのも,経済的に自立している。
っていうと,いろいろ反発があるかもしれないけど,ロジックとしてそれも成り立つ可能性があるということを理解してほしい。
「自立」ってなんだろう
結局,最初の問いに戻ってしまう。
「自立」ってなんだろう。
もしかしたら,オレらは全然自立できていないのかもしれない。
先の紹介した湯浅氏はこのように言っている。
「『自立』を『誰にも頼らずに生きていくこと』と考えるのは少し狭すぎるように、私には思われます。むしろ、こう言えるのではないでしょうか。『自立』とは、毎日の暮らしを、ときに他人の手も借りながら、そしてインフラといわれる公共物やさまざまな用途を持つたくさんの便利な器具も使いながら、手に届くたくさんの選択肢の中から、悩みながら必要と思うことを選び取れること、そして失敗してもそこから学び、試行錯誤の中で自分の人生を築いていけることだ、と。」
たしかに,「誰にも頼らずに生きていくこと」を「自立」にしてしまうと,誰も自立できない。
人は,誰かがいないと,何かがないと,生きていけないからだ。
人に言われたことをそのままやる。
この状態は,日常の感覚で「自立」しているとは言えない。
だから,湯浅氏も「試行錯誤の中で自分の人生を築いていけること」としているんだと思う。
でも,よくよく考えてみると,生活保護を受けている人だって,自分で選択して自己破産し,生活保護を受けているわけで,それって自分で選択しているってことになる。
これも「自立」だっていうと,「え,じゃあ生活保護の人に対する自立支援ってなんか変じゃない?」ってことになる。
いわゆる「自立」と「経済的自立」は分けて考えた方がいいのかもしれない。
頼る力
現在の福祉制度の多くは申告制だ。何も言わなければ何もしてもらえない。
でも,生活保護を受ける権利,年金を受け取る権利,介護保険・医療保険を受ける権利は保証されている。
むしろ,福祉の世界では,「頼ってもらう」ということが重要になってくる。
介護の世界も利用者や家族が,周りに頼って(介護認定を受けて)成り立っている。
実際に,相談員業務をやってても,「なんで言ってくれなかったんだ。」と思うことがよくある。
対利用者だけじゃなくて,同僚の職員が実はとても悩んでいたり,急に辞めたりすることがある。
できるだけ,気にかけるようにしているけど,それでも気付けない部分もある。
自分が福祉を勉強するまで,オレは人に頼ることはよくないことだと思っていた。
でも,福祉を勉強して,頼ってくれないと救えないことを学んだ。
そして,自分のことを考えると,頼ってもらって悪く思うことはまずない。
むしろ「頼る力」・「任せる力」は,「自立」には必要なことだと思う。
まあ,結局「自立」ってよくわからんのじゃけど。
「自立ってなんだろう」
この疑問を考える続けることは,福祉について考えることの助けになると思う。
できれば多くの方に読んでいただきたいと思っております。
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